自販機の下で

切り取って、削りだした先にこそ「おもしろい」が宿る

インターネットは、いつかエンデに会いに行く

id:Yamakatsu言霊 - Yamakatsu Blog を見てから、
もやっとしたままほったらかしにしていたので、忘れないうちに書いとく。
もやっ。ふわっ。ぽん。って感じ。

タイムラインはもちろん流れてゆく。
振り返られることはほとんどなく、
それはネットの地表へと堆積し、膨大な層をつくる。

流れ行く情報は本当に死んでしまったのだろうか。
想いは甦ることはないのだろうか。
インターネットは墓場でしかないのだろうか。

Googleは散らばる情報から”検索”で浮かび上がらせ、
膨大な情報を、ひたすら保存する「アーカイブ」団体も多く存在する。

「私」に適合した情報は、ある程度引き出せる。
では何が、溢れてしまっているのだろうか。

原因は蔓延する「飽き」ではないか。
ツイートを流し読むその作業には、
繰り返される「はらへった」への飽きが存在する。
我々はおもしろいことばかりでも飽き、
難しいことばかりでも飽きるのだ。

もっと底から沸き上がる息吹を新鮮に受け止めることはできないだろうか。
あの人の笑顔は、「私」の笑顔にならないだろうか。
コミュニティは狭くていい。なくてもいい。

それは集合無意識かもしれないし、羽生さんの「大局観」かもしれない。
必要なのは、メタではなく、流れに身を任せて感じるその「感覚」だ。

それはありえない情報過剰摂取の先にあるのか、
デバイスの進化によって生まれるのかは見えないが、
いわゆる”キュレーション”の次の段階であることは間違いない。

我々の現実での「感覚」をより近くしてネットに移植することが、
新たな「空間」そして「娯楽」を生むのではないか。

生み出される空間は、より現実的に我々に迫ってくることになり、
「私」は最後に現実に帰ってくるのだ。
それはネットと現実を行き来する「私」の”はてしない物語”だ。

漠然と、そんな希望を抱いている。