自販機の下で

切り取って、削りだした先にこそ「おもしろい」が宿る

観戦と応援

風邪なのに眠れないので、なでしこの準決勝勝利を見ながら思い出したこと、を書く。





どんなスポーツでもオリンピックだと見ることができるのは、はっきりと応援するチームがあるからだ。応援と言うと、他人のためのいわば「ひとごと」的なものだと感じてしまいがちだが、それは常に身体的であり、言いようのない一体感と興奮を応援者自身にもたらしてくれる。そしてその一体感と興奮が最も発揮される場所が「スタジアム」だ。


観戦
1 戦いの状態を視察すること。
2 試合などを見物すること。「野球を―する」「将棋の―記」
応援
1 力を貸して助けること。また、その助け。「選挙運動の―に駆けつける」「―演説」
2 競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。「地元チームを―する」「―団」

(goo辞書より)


普段使っているのは両方「2」の意味だ。
ただその語の含むおおもとの意味から、その違いははっきりと表される。
選手に力を与える声援や拍手、そして笑顔こそが”応援”なのだ。




父親に初めてスタジアムに連れて行って貰ったのは小学生の頃だったろうか。歳は忘れたが、あの興奮だけは今でもしっかりと記憶している。万年最下位だった頃の日本ハムファイターズのソフトバンクとの福岡での試合だ。鳴り響くラッパや地響きのような(相手チームの)歓声、ホームランがスタンドの自分のほうへとび来んでくる時のあの夢のような瞬間は忘れられない。何度もテレビで見せられていたが特に興味を持たなかった野球の試合に、一瞬で引き込まれた。実は選手の一人一人に魂を込めて作られた応援歌があり、ジャンプやダンスなど独特の応援スタイルがあり、チャンスにはみんなで盛り上がり、ピンチにはみんなで天に祈る。そして、声が枯れてもなお、選手たちへ心の底からの応援を送る。あの体験はまさに僕にとって初めての「スタジアム」の体験だ。ただ同時に、なんで自分と自分の父親の応援するチームはこんな肩身の狭い思いをしなければいけないのかと悔しくもあった。


野球に限らず、昨今全てのスポーツはテレビの画面を通して見るものだ。そのためにテレビ屋は画面の解像度を上げ、薄くし、大きくしてより臨場感を出そうとしている。ただ、スタジアムに比べると圧倒的に見劣りしてしまうのは、「匂い」「空気」そして「隣の人の応援」のあるかなしだ。暴論を言えば、観戦するのにスタジアムは向いていない。注目ポイントにズームもしてくれなければ、適切な状況説明と解説が入らないからだ。そこは「応援」するための空間なのだ。


上に、「万年最下位の頃のファイターズ」と書いたが、その環境を変えたのは二人の人間だ。一人はトレイ・ヒルマン監督(2003~2007)、もう一人は新庄剛志(2004~2006)だ。新庄を花とするなら、ヒルマンはまさに土であり水だった。本来なら奇異の目で見られ、”批判”と”自粛”によって潰されてしまう新庄の行動を、ヒルマンは歓迎し、そして自らも2004年からの移転の地北海道でスタジアム内外での地道なファン交流を手伝った。新庄の着ぐるみパフォーマンスや、「札幌ドームをいっぱいにする」「日本一になる」という言葉を今も覚えている人は多いだろう。外野席に向かってあんなにたくさんボールを投げ、練習中にファンからの執拗なサインの要求にも最後まで丁寧に応え続けた人は日本の球界で彼が初めてだったのではないか。その姿勢が生んだのは、スタジアムに並ぶ長蛇の列だった。北海道はもともとテレビ中継の影響もあり、野球ファンのほとんどが巨人ファンだった。その北海道が、札幌ドームが、2年という短い期間でまさに「満員」になったのだ。




僕は短いファン生活の中で、とても幸せな経歴を持っていると感じている。あの万年最下位の日本ハムが北海道という土地に根付き、日本一への階段を駆け上がるまさにその瞬間を見続けることができたのだから。小説より「奇」である圧倒的なそのサクセスストーリーの瞬間に立ち会った者で、ファンをやめてしまう奴はきっといないだろう。そして札幌ドームという「スタジアム」で見たあの最高の一体感と感動を、ずっと忘れずにいるだろう。それぐらい応援はおもしろくて、一度はまったらやめられないものなのだ。



サッカーマンガという「奇」ではなく「小説(マンガ)」の舞台で、最近同じような体験をした。新庄とヒルマンが成した「おらがチームづくり」をまさにサッカーチームで主人公、達海猛とフロントの笠野がやってのける過程だ。2004年以降パ・リーグ台風の目となった日本ハムファイターズのように、ETUはまさに今台風の目となろうとしている。

GIANT KILLING(24) (モーニング KC)

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