自販機の下で

切り取って、削りだした先にこそ「おもしろい」が宿る

NIPPON-明治維新-

(プレイ時間が)重量級「NIPPON-明治維新-」
先日やっておもしろかったのですが、インストかなり難しく、とちったため、自分用にサマリを。
解釈間違ってるところあるかも。




  • 手番
    • 労働者駒をとる(とった場合、最低ひとつ以上そのアクションを実行)
    • パス(ソフトパス=メイパス)
  • 実行可能なアクション(できるだけ同じ色の労働者をとったほうがいいよ。統合整理参照)
    • 新たな産業への投資(工場作る)
      • 工場1枚を選択し、6千円払って建設(1つのみ)
      • 建設には工場レベル(1/2/3)に見合った知識レベル(2/4/6)が必要
      • 知識レベルは青写真タイルで一時的に積み増し可
      • 工場たてたら、即時/永続の効果を得る
    • 機械化(工場の生産能力UP)
      • 1回5千円払って、1〜3回分機械化タイルを置ける
      • ひとつの工場につきプラス2まで。そのまま生産能力にプラスされる
    • 商品の生産
      • 工場に書いてあるぶんの石炭(黒コマ)をとりのぞき、商品をひとつ(プラス機械化分)生産
      • 保管上限の4を超えて生産はムリ
    • 知識or鉱山
      • それぞれ千円/三千円/六千円払って、1/2/3の知識トラックor石炭トラックを進める
    • 鉄道or船
      • それぞれ五千円/一万円/一万五千円払って、1/2/3の鉄道タイルor船タイルを置く
      • 鉄道は影響力(通常はプラス2)を増加、船は地域決算で1位か2位だったときにボーナス(通常はプラス2点)
      • 複数置くときは、必ず違う地域に
      • 上下のスペースに意味はなく、船も鉄道も設置可
      • 鉄道と船が両方なくなったスペースができるごとに、収入がプラス1
    • 輸出(契約タイルの達成)
      • 輸出タイル左上に示されている契約を1〜3個達成
      • どのタイルからでもいいし、どの商品で達成するかも問わない
      • 即座に左下の点か円を得て、右下の収入分だけ収入トラックを進める
    • 国内市場
      • 1〜3枚の影響力タイルを商品の需要に応じて置くことができる。
      • 置いたら即座に地域に対応したボーナス(五千円/石炭2個/2青写真/2勝利点)を得る
      • 対応する商品を1〜3個とって、そこに置く。商品は工場のレベル・個数によって価値が異なるため、ボード参照。
      • 複数の影響力タイルを置く場合、同じ地域にしか置けない
      • 影響力タイルは、より大きい数字を置く場合、自分のものも他人のものも上書き可能
      • 海外勢力に対しては、上回っていなくても上書き可能。(得点計算では、海外勢力も含めて2都市の合計で地域の影響力を問う)
      • 複数工場を建てる場合、影響力タイルの枚数に注意。だいたいのタイル、1枚しかないよ!(ない場合、数字が下のタイルを使うのは可)
    • 統合整理(6個労働者スペースが埋まったら自動。それ以外は自分で選択してやる)
      • お金と石炭を一度すべて破棄
      • 働者駒の数に応じた褒賞タイルを獲得(ない場合、数字が下のものなら得られる)し、即座にボーナス(五千円/2青写真/戦記譚2個)を得る
      • 褒賞タイルを即座に自分のボードの功績スペースにのせる
        • (これ以降動かせない。最終得点計算に影響する)(ゲーム中全て埋まるわけではないので注意)
      • 労働者に給料を払う。1色につき三千円(つまり、労働者の色はできるだけ同じものをとったほうが安い)
      • 賃金を払えない1色ごとに2点失う(まず払って、もし足りなかった場合)
    • 3ラウンドあり、各ラウンドで得点計算。
      • さらに最終ラウンドは得点計算のあと、いちどお金と石炭を破棄し、収入トラック分の資金を得て、労働者に給料を支払って計算
      • それぞれの功績タイルのぶんを、乗数を反映して加算。左肩に何も乗数がない場合、その功績はゼロ。(全部埋まるとは限らない)


ボードゲームをしませんか?

ボードゲームが好きな人は、一見、負けず嫌いに見えるけれど、
「勝つこと」をそんなに欲しない人が多いのではないか。
(奥深くには承認欲求とか嫉妬心とかあるかもしれないけれど、置いておく)

では何が楽しいの?と聞かれると、
運と読み(予測)と物語のあいだをいったりきたりしてる感覚、
その感覚だ。たぶん。

人生ゲームがおもしろくないから追加ルールを作ったというエントリがあった。
@nifty:デイリーポータルZ:人生ゲームを面白くする方法
なぜおもしろくないのか。
それは「運」への偏りが大きいからだ。
追加ルールという発想自体はわかるけれど、
もうちょっとおもしろくする方法はありそう。ルーレット保険とか。
昔から遊ばれているゲームにケチつけるのはハードルが高いよね…。
どちらにしろ人生はあんなに簡単な物語ではないし、
ルーレット頼みだから読みの要素は少なくなる。

では「読み」へ偏るとどうなるか。
ご存知の囲碁や将棋がある。あれは「読み」の職人達のゲームだ。
長い時間データ化され蓄積された「定石」を覚え、
その上で新しい手順を作る。そんなゲーム。全ては予測の上にある。

それら間にあるのがボードゲームの世界。
物語は世界観と言い換えてもいいけれど、
世界観のあるゲームはやっぱりオモシロイ。
アグリコラ”があんなにおもしろいのは、
きっとどうぶつの森と同じような、
「農場を耕している自分」になりきる感覚だろうし、
"ディキシット"でカードのことを喋る時は、
まさに物語の紡ぎ手になっているのだろうし、
ドミニオン”で最後に自分のデッキを確認し、
自分がどんな「王国」を作って国を拡げていったか振り返る瞬間。
その瞬間に物語ができる。

世界観がなくても、
読みと運が絶妙であれば楽しめるゲームもある。
”ブラフ”がまさにそれで、
確率への読みとダイスの運の狭間で、
隣の人の頭の中を読みながら、試行を積み上げていく。

そのへんの運と読みと物語の狭間を、
「隣の誰か」と一緒に楽しむのがボードゲームなのだ。
とんなに楽しいゲームも誰かとやらなきゃ楽しくない。
結局は「誰かと笑っていたゲーム」が振り返ったとき、
いちばん楽しかったゲームだ。

よく知る、そしてまだ見ぬ「誰か」と一緒に、
ボードゲームをしませんか?

美味しいお酒片手に、おもしろい人たちと、楽しいゲームを。

※追記(12/3)
今月もゲーム会やります

観戦と応援

風邪なのに眠れないので、なでしこの準決勝勝利を見ながら思い出したこと、を書く。





どんなスポーツでもオリンピックだと見ることができるのは、はっきりと応援するチームがあるからだ。応援と言うと、他人のためのいわば「ひとごと」的なものだと感じてしまいがちだが、それは常に身体的であり、言いようのない一体感と興奮を応援者自身にもたらしてくれる。そしてその一体感と興奮が最も発揮される場所が「スタジアム」だ。


観戦
1 戦いの状態を視察すること。
2 試合などを見物すること。「野球を―する」「将棋の―記」
応援
1 力を貸して助けること。また、その助け。「選挙運動の―に駆けつける」「―演説」
2 競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。「地元チームを―する」「―団」

(goo辞書より)


普段使っているのは両方「2」の意味だ。
ただその語の含むおおもとの意味から、その違いははっきりと表される。
選手に力を与える声援や拍手、そして笑顔こそが”応援”なのだ。




父親に初めてスタジアムに連れて行って貰ったのは小学生の頃だったろうか。歳は忘れたが、あの興奮だけは今でもしっかりと記憶している。万年最下位だった頃の日本ハムファイターズのソフトバンクとの福岡での試合だ。鳴り響くラッパや地響きのような(相手チームの)歓声、ホームランがスタンドの自分のほうへとび来んでくる時のあの夢のような瞬間は忘れられない。何度もテレビで見せられていたが特に興味を持たなかった野球の試合に、一瞬で引き込まれた。実は選手の一人一人に魂を込めて作られた応援歌があり、ジャンプやダンスなど独特の応援スタイルがあり、チャンスにはみんなで盛り上がり、ピンチにはみんなで天に祈る。そして、声が枯れてもなお、選手たちへ心の底からの応援を送る。あの体験はまさに僕にとって初めての「スタジアム」の体験だ。ただ同時に、なんで自分と自分の父親の応援するチームはこんな肩身の狭い思いをしなければいけないのかと悔しくもあった。


野球に限らず、昨今全てのスポーツはテレビの画面を通して見るものだ。そのためにテレビ屋は画面の解像度を上げ、薄くし、大きくしてより臨場感を出そうとしている。ただ、スタジアムに比べると圧倒的に見劣りしてしまうのは、「匂い」「空気」そして「隣の人の応援」のあるかなしだ。暴論を言えば、観戦するのにスタジアムは向いていない。注目ポイントにズームもしてくれなければ、適切な状況説明と解説が入らないからだ。そこは「応援」するための空間なのだ。


上に、「万年最下位の頃のファイターズ」と書いたが、その環境を変えたのは二人の人間だ。一人はトレイ・ヒルマン監督(2003~2007)、もう一人は新庄剛志(2004~2006)だ。新庄を花とするなら、ヒルマンはまさに土であり水だった。本来なら奇異の目で見られ、”批判”と”自粛”によって潰されてしまう新庄の行動を、ヒルマンは歓迎し、そして自らも2004年からの移転の地北海道でスタジアム内外での地道なファン交流を手伝った。新庄の着ぐるみパフォーマンスや、「札幌ドームをいっぱいにする」「日本一になる」という言葉を今も覚えている人は多いだろう。外野席に向かってあんなにたくさんボールを投げ、練習中にファンからの執拗なサインの要求にも最後まで丁寧に応え続けた人は日本の球界で彼が初めてだったのではないか。その姿勢が生んだのは、スタジアムに並ぶ長蛇の列だった。北海道はもともとテレビ中継の影響もあり、野球ファンのほとんどが巨人ファンだった。その北海道が、札幌ドームが、2年という短い期間でまさに「満員」になったのだ。




僕は短いファン生活の中で、とても幸せな経歴を持っていると感じている。あの万年最下位の日本ハムが北海道という土地に根付き、日本一への階段を駆け上がるまさにその瞬間を見続けることができたのだから。小説より「奇」である圧倒的なそのサクセスストーリーの瞬間に立ち会った者で、ファンをやめてしまう奴はきっといないだろう。そして札幌ドームという「スタジアム」で見たあの最高の一体感と感動を、ずっと忘れずにいるだろう。それぐらい応援はおもしろくて、一度はまったらやめられないものなのだ。



サッカーマンガという「奇」ではなく「小説(マンガ)」の舞台で、最近同じような体験をした。新庄とヒルマンが成した「おらがチームづくり」をまさにサッカーチームで主人公、達海猛とフロントの笠野がやってのける過程だ。2004年以降パ・リーグ台風の目となった日本ハムファイターズのように、ETUはまさに今台風の目となろうとしている。

GIANT KILLING(24) (モーニング KC)

GIANT KILLING(24) (モーニング KC)

キリトリセン

おはよう。久しぶりなのでつれづれなるままに書く。
定期的に書いてないとはてな記法を忘れて慌てるよね。


過去の自分の文章に縛られて『舟を編む』を再読しつつ投稿している。当時は「ライフワーク」を持てる人になりたいなぁ、と思った、ような気がする。『天地明察』も”改暦”という「一生の仕事」を見つけ、走り続ける主人公の幸せが四肢に染み渡る感じだった。高校の頃に読んだ『頼山陽』も”日本外史”へと言葉に生涯を捧げているし、『聖の青春』も村山(『三月のライオン』二階堂のモデル)と"将棋"との劇的な出会いを本にしたわけだから、「人と仕事」という形で人間の一生を描くのはポピュラーかつ人を感動させる典型なのかもしれない。


偏見だが、自分の大学にいる人々は勉強に関する「妥協」をよく知る人が多いと考えてる。
ダイアリのほうで、「努力する才能ってあるよね」みたいな話を書いたことがあるが、私大の文系って既に「数学」「物理」「化学」あたりを放棄して妥協して勉強してる人がほとんどなわけで、いちおう妥協したなかでがんばった人たちが早慶とか行って、さらにそこで妥協を重ねて「もう一年勉強する気力はない」とか言って入ってきたのが僕たちなわけで、その劣等感たるやすごいよね、と。
(あくまで主観であって、そんな人が僕ひとりだけかもしれないということも考えている)
(そして上記の内容を括弧付きで補足して保険をかける自分にも嫌気が刺している)
(メタメタしいからこのへんで止める)


「一生の仕事」を見つけた人たちって、傍から見てどうなんだろうか。
おそらく、それは「妥協」しない、もしくはできない体質の人だ。
だから僕は一生「一生の仕事」に憧れながら妥協し続けて生きていくのかもしれない。

ただ、その仕事をしてる人が「これはオレの一生の仕事だ!」と考えていたかと言うとそんなことはなくて、きっと前にむかってがむしゃらに進んでいただけだと思う。わからないけれど。

だから重要なのは、今向いている方向が前だと信じて、理想があるならとりあえずそれを追っておいて、もし落ち着いたならその現状に感謝と不満を抱き、殻を破るにせよつけたままにせよ、ひたすら走り続けるしかないんだなぁって、思う。


物語として振り返れば、「あぁ一本の道を走ってきたのかもしれないなぁ」と思える余地を残せるように、
日々、停滞をも前だと信じて、空元気と自身と能天気で愚痴を吐き嘘を吐きながら、
自分の歩いた道が何かの絵になるかもしれないと信じて、キリトリセンを自分の後ろに引きながら、
ぐるぐると同じ道かもしれない場所を歩き続けるしかどうにもしょうがない。

読書をデザインする。

インプット過多だよねと書いた舌の根も乾かないうちに、本とマンガを買い込んだ。
そろそろ本とマンガっていう括りもナンセンスかもしれないが。
ちょっと、読む順番を考えてみた。

  1. 「情報の呼吸法」津田大介
  2. 「傷ついた日本人へ」ダライ・ラマ14世
  3. 「帝国の時代をどう生きるか」佐藤優
  4. 「水域」漆原友紀
  5. 「日本の医療 この人を見よ」海堂尊
  6. 「つながりの仕事術」佐谷恭・中谷健一・藤木譲
  7. 「ソーシャルデザイン」グリーンズ編

情報の入れ方を考え、とりあえず外に関心をもち、内側に眼をむけ、その改善を考える。
間にある漆原友紀のマンガに大きな意味はないです。

元気があったら感想などあげる予定。
お金がないので新書を買おうと思ったらkonozama

有隣堂目黒アトレ店の書棚をデザインしてる店員さんに、してやられた気持ちでいっぱい。
平積みの並び方が、すごく手に取らせる並び方だったんだ。本当だよ。


ところで、自分の脳の変容をデザインするのってすごく楽しい。めたもるふぉーぜ!
毎日買っているような人は別として、本は一冊ずつ買うべきじゃないというのはつくづく思うところだ。
自分の受け入れ容器の大きさや容器自体の変わり方をこねくり回してデザインし、そこに何かを注ぎ込む。
僕が上に描いた順番は、容器をつくって、注いで、かき混ぜるという順番(たぶんね)。

現在のゼミの先生が、三年でゼミが始まる前にやってくれたのもこのデザインだった。
(順番に意味があったわけではないと思うたぶん)
自分の思考の形を少しずつ決めていくのって、すっごく、楽しい。

みんなもちろん無意識にやってると思うんだけれど。
意識して、お試しあれ。

漂流物

昨年の津波の漂流物が北米に続々と流れ着いているというニュースを見た。
一時期Twitterのトレンドに「ハーレーダビットソン」があった、あのニュース。


Harley Davidson Motorcycle Found On Remote BC Beach Believed To Be Japanese Tsunami Debris
- YouTube

太平洋に放たれた漂流物は一年後に知らない沖に打ち上げられるけれど、
ネットの私たちの言葉は、何年後にどの沖に打ち上げられるのだろうか。
中学生の時の自分のブログを見つけてしまった時のあの恥ずかしさはどこからやってくるのか。


角田光代「さがしもの」を読んでいる。
amazon:さがしもの 角田光代
来年の高校NHK杯の課題ということで一昨日読んでいたら、なんと筆記試験にも出てきた。
モノや人には出会う時はとことん出会うし、追いかけてくるものはどこまでも追いかけてくる。

この本には、主人公が売った古本と旅先で何度も出会う「旅する本」という短編が収録されている。
本に追いかけられて読んだ最初のページに”旅先で本に追いかけられる”内容が載っていて、いつでも事実は小説より奇だ。


しかしよくよく考えると、事実が小説より奇-つまりおもしろく-となっているのは、自らを物語化する視線があるからだ。
物語の端役を他人に演じさせるタイプの人間(いわゆる悲劇のヒロイン系の女の子とか)には正直飽き飽きしている。
他人を端役でなく主役に据えた場合、時にそれは綺麗な恋になったりストーカーになったりする。
そして、物語が自分とモノとの間でのみ成立する人こそが、日常を物語化できる人間だ。
日常を物語化できる人の中でも、それをさらに「他人に見せる形」にできる人々がいる。
たぶんそれが日常風景の写真家であり、エッセイストだ。物語化でメシを食う人々だ。

我々が物語を作れないと言っているのではない。逆だ。我々は物語を作るべきだ。

例えばすべて1冊ずつしか置かれてない本屋の棚の片隅に、それだけ2冊ある本にはどんな意味があるのか考えるのだ。
例えば今日、たった一つの落球で一日の自分の活躍を自分で潰してしまったキャッチャーの気持ちを考えるのだ。
例えば我が家に積上っている食べかけのフリスクの山の意味を考えるのだ。
例えばポイントカードの端数処理方法を考えたひとがどれだけめんどくさがりだったか考えるのだ。

そこには事実しかない。物語を作るのは我々だ。
妄想しろ。空想しろ。そして、書け。
オリジナルじゃなくていい。巧くなくていい。きれいじゃなくていいから。

我々が今書いた物語が、数年後や数十年後に自分や他の誰かに「おもしろい漂流物」になってくれるよう、
精一杯の物語をインターネットの海に投げ続けるしかない。

摂取

そろそろインプット過多なので吐き出したい。
具体的には

  1. 村山知義展(京都国立近代美術館
  2. 金山平三展(兵庫県立美術館)
  3. いわさきちひろ展(同上)
  4. 宮沢賢治展(大丸)
  5. 竹原ピストルライブ(ROOTER×2)
  6. 三浦しおん「舟を編む」
  7. 本を再読すること(「天地明察」「県庁おもてなし課」)
  8. 映画「テルマエロマエ」
  9. 聖地巡礼についてクロ現を機に再考する
  10. 川上弘美「神様2011」について

まだまだありそうだけど、思いつくのはこれぐらい。
まとめて、切って、貼って、つくり直して見られる形にしたい。